いつ訪れても、多くの人が通りを行き交う神楽坂。
花街の薫り、石畳の風情、数え切れない小さな路地…
昔と今が混在し、不思議な魅力のある街。
そんな神楽坂にも、文豪ゆかりの場所が多くあるのです。





1910(明治43)年に創業、来年で100周年を迎える助六は、履物・袋物・傘の専門店。明治から昭和初期にかけては、与謝野鉄幹・晶子夫妻や菊池寛など、当時の有名人も多く買い物に訪れていたという。素材選びからこだわり、常にオリジナティ溢れる商品を生み出している名店である。
神楽坂下から通りを上っていくと、左側に現れる毘沙門さま。神楽坂の顔といっても過言ではないが、この地に来たのは1792(寛永4)年のこと。この頃に始まった毘沙門天の縁日は、大変な賑わいだったようだ。夏目漱石の『坊っちゃん』や、様々な文献にも縁日の様子が描かれている。
神楽坂でもっとも歴史ある老舗。光照寺に残る記載によると、約350年前、初代は紙漉きから始まったらしい。その後、和紙問屋となり、相馬屋の和紙は徳川家、宮内庁の御用達でもあった。明治以降、西洋紙が伝わり、ふとしたことで尾崎紅葉に助言をもらって作られたのが日本初の原稿用紙。以降、相馬屋の原稿用紙は、北原白秋、坪内逍遥、石川啄木など多くの作家に愛用されている。
明治の文豪の一人、泉鏡花の小説『婦系図(おんなけいず)』に登場する江戸前の魚屋・めの惣。男気溢れるこの人物のモデルとなったのが、うを徳の初代である。泉鏡花は初代の料理と気質を大変気に入り、後に神楽坂に割烹料理店として開店する際、披露状の挨拶文を書いたほど。その文は今も口上文として使われている。
※掲載している情報は2009年10月現在のものです。
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